ボストン茶会事件

ボストン茶会事件


日本の中高校でも学習するボストン茶会事件の場所が、実際にボストンにあります。(チャールズ川沿いでChildren Museumの目の前です。)日本語ではボストン茶会事件と訳されていますが、英語では”Boston Tea Party”であり、事件ではないような印象がありますが、個人的には日本語訳の方がよりわかりやすい気がします。


ボストン茶会事件
1773年12月16日に、マサチューセッツ植民地(現アメリカ合衆国マサチューセッツ州)のボストンで、イギリス本国議会の植民地政策に憤慨した植民地人の急進派が港に停泊中の貨物輸送船に侵入し、イギリス東インド会社の船荷である紅茶箱を海に投棄した事件。アメリカ独立革命の象徴的事件の一つである。

1773年12月、茶を積んだ東インド会社の貿易船がアメリカの4つの港に到着するが、陸揚げされなかったり、倉庫に実質的に封印されるなど、実際には販売されなかった。この港のうちボストンでは東インド会社の貿易船に、荷揚げせずにボストンからイギリスに退去するよう求めた。現地のイギリス総督はこれを拒否し、貿易船は荷揚げの機会を待つため、船長はボストン港での停泊を継続する。
こうした事態の中、1773年12月16日の夜に事件は起こった。毛布やフェイスペイント等でモホーク族風の簡易な扮装をした3グループ、50人ほどの住人がボストン港に停泊していた東インド会社の船を襲撃。「ボストン港をティー・ポットにする」と叫びながら、342箱の茶箱を海に投げ捨てた。騒ぎを聞いて駆けつけた多くのボストン市民は、加勢も制止もせずこの様子を見つめていた。これが「ボストン茶会事件」と呼ばれる事件で、行動を起こしたのはボストンの急進派市民(自由の息子達)であり、組織化の中心となったのはサミュエル・アダムズである。 また、茶会事件を起こしたのはボストンのフリーメイソンのメンバーであるという都市伝説もある。メンバーがロッジで酒を酌み交わしていた時、一人が「海水で酒を飲んだらどんな味になるか」と酔った勢いでボストン港に向かったが、陰謀説をカモフラージュする為、酔った勢いだと釈明させたという説もある。この時投棄された茶の損害額は1,000,000ドルに上るといわれ、この事件には植民地人の間においても賛否がわかれ、東インド会社の賠償請求に対してベンジャミン・フランクリンは私財をもって「茶の代金(茶税分を除く)」の賠償を試みようとしている(結局賠償はされなかった)。
イギリス政府はこれに対して、翌年、ボストン港の閉鎖・マサチューセッツの自治の剥奪・兵士宿営のための民家の徴発などの強硬な「抑圧的諸法」を出してボストンを軍政下に置いた。植民地側は同年9月、フィラデルフィアに12の植民地代表を集めて第1回大陸会議を開き、本国議会の植民地に対する立法権を否認することと、イギリスとの経済的断交を決議した。このような緊迫した情勢の中で、翌年4月、ボストン郊外のレキシントンとコンコードでイギリス軍と植民地民兵が衝突(レキシントン・コンコードの戦い)し、ついに独立戦争が勃発したのである。
また、茶法に反対する一連の運動によって、それまで愛飲していた紅茶をボイコットする植民地人が多くなり、代わりにコーヒーが普及した。現在でもイギリス人に紅茶党が多い一方、アメリカ人にはコーヒー党が多いのは不買運動に由来するものである。
植民地人はイギリスからの移民が大多数を占め、元来親英的であった。アメリカ独立戦争が勃発した後になってさえ独立を支持する愛国派は自営農民・中小工業者らを中心として植民地人口の3分の1ほどであり、忠誠派が3分の1、残りは中立派であった。

ここが実際の場所です。チャールズ川に位置しています↓
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当時の船が再現されています↓
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結構面白いですね。
市街地に位置しており観光でも行きやすい場所なので是非行ってみてください。






by kaigaiwataihenda | 2017-01-27 08:17 | ボストンの観光地
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